お冷一杯100円払えばアフリカの貧しい人たちを救えるよの巻


最近ネットで大人気のアグネス・チャンが地元横浜でこんな運動をしているみたいです。

児童ポルノ云々とかは正直、興味ないんでどうでもいいんだけど、なんかこの人勘違いしてるよなぁ。寄付金募っといて「最低限100円」とかはねぇだろうと思うのだがどうだろうか。自分らとちょっと感覚がズレてる。だからガキを盾に取って子供を守ろうとか、そういうこと言えちゃうんじゃないかと。あくまで目安としているけど、じゃあコンビニのレジ横にある募金箱とか、そういうのには目安の金額なんか設定されてないわけでしてな。

この記事を見て思い出してなんてこんなエントリー書いてるのかっつーと、10年以上前。秋葉原をほっつき歩いてると募金の人に声をかけられた。話を聞くと阪神大震災の募金をして欲しいとのことで、当時はちょうど震災発生から間もない時期だったこともあって自分は募金することにしたんだよね。

そうしたら、どういうわけか100円以上をお願いしますと言われて、待てよとなったことがあるんだね。そうなんだ、このアグネス・チャンと同じだよねw 今までも募金とかはしたことあるけど、面と向かって金額を言われたことがなくて面食らった記憶がある。

なんか怪しい、と思った当時高校生の自分は「ごめん、日本赤十字の方にも募金したから〜」と適当なことを言ってその場から立ち去ろうと思ったんだけど、相手も「震災で困っている人がいます。ご協力お願いします」と顔近づけて言ってくるし、やはり当時はそういう状況というのもあって、根負けした自分は募金したわけだ。途方もない違和感を感じつつも…。

最近も中越地震とか四川大地震で募金している人が募金箱持って駅前をうろついて、声をかけてくる人たちいるけどそれと同じ、つーかその先駆けみたいな感じですね。

人の善意とか仄かな正義心を利用して、自分の利とするやり方? 自分、児童ポルノ規制法は興味ねぇと上で言っちゃったけど、やっぱ弱い立場の児童とかアフリカの貧しい人とか、そういうのを全面に持ち出されて「こうするべきなんだ!」と言われるとこっちは弱いね。自分の時は阪神大震災という当時としては最大の災害があって、やっぱ困ってる人もいるし困った時はお互い様だから助けなきゃいけない、自分もこういう形でもいいから助けたい! ってのもあったしね。

けどその善意に土足で上がり込んで胡坐をかく人たちの態度に違和感を感じたのもまた事実だった。善意なんだからやって当たり前でしょ! みたいな押し付けの空気には、申し訳ないけど時には異論も言わなきゃいけないのかなぁと。ネット上で議題に上がる「児童ポルノ法案」についてもそう思うところはある。

本当に善意でやってて、ボランティアでやってる人もいる。けどそういう志の高い「本気」の人たちは自分の主張を強制的に第三者に押し付けたりはしないもんです。そういうのは態度とか言動で分かる。けど募金金額を口にするような連中はそうじゃない。

しかし、ささやかにそういう困った人へ協力しようという意思のある人に指示や命令をする構造というのは、どうなんかねぇ。銀行口座に振り込む時はシステム的な事情から一口何円ってのがあるのはしょうがないけど。
どうもそういう意識のズレというか、第三者の介在を無視して自分たちの言い分を通すやり方は今回の児童ポルノ云々と、こういう困った人たちを助けましょう! でも一口100円から! と構造は同じなんじゃないかなぁと思うわけですよ。今回のものがあくまで「目安」だから、無視して1円でも5円でも入れてもさすがに怒られることはないと思うけど。

子供守らないといけないなら、教育からちゃんとしなよ。金集めて自分たちの経費引いた分だけをどっかの国にばら撒いて、法律作ってエロ規制しましただけで守った気にはならんで欲しいね(´・ω・`)