パクリ検証は表現狩りなのか?

http://yama-ben.cocolog-nifty.com/ooinikataru/2005/11/post_e786_1.html

最近はパクリ騒動が多くてアレですが、そんな中、弁護士の山口貴士氏のブログでこんなエントリーがあったので紹介しておきます。

正直なところ、末次氏にしろ飛鳥部氏もパクリを認めて謝罪している以上、検証サイトを槍玉に挙げて「平成の表現狩り」とあげつらうにはかなり無理があると思いますな。

何か別のところからネタを持ってくるにしても、それをパクリと読者に思わせないような料理の仕方が出来ないからこういう事態になっているのであって、表現の自由とか魔女狩り以前の、作家としての力量の問題でもある気もします。パクリをパクリと思わせない見せ方も実力でしょうし、それが伴わなずに発覚してしまうのは作家の問題であって検証サイトの問題とは言えないでしょう。

そしてパクリ検証が本当に「表現狩り」なのはがとうかはともかくとして、僕が一番懸念しているのは意図的にパクリ行為をする人間が自分の悪質な行為を正当化するためにこうした批判が詭弁として利用される可能性があるというを忘れてはならないでしょう。

逆を言えば、これがまかり通ればパクリし放題なわけです。どこかのサイトでパクリ検証すれば「これは表現の自由の圧殺だ!! 文化の敵だ!!」と正当化できるし、もうそれをやっている作家さんもいますからね。それはそれでどうなんだろうって思う。そうした悪質な人間も中にはいるわけで。

そもそも、作家に実力が無いために起こってしまった騒動を、ネット上の批判やパクリ検証問題のせいにするのはかなりお門違いだと思います。問題を外部の圧力のせいにしたり、表現行為を萎縮させるだけだというのは、問題の本質がそもそも違うだろうし、それだけでは問題の解決にはならない。
また、検証サイトの開設行為が作者や出版社に対する名誉毀損業務妨害行為にあたるとありますが、なら検証サイトの「言論の自由」はどうなるのか? もちろん自由には責任がつきものですが、それは表現の自由とて同じです。表現の自由もあれば、それについてとやかく言う自由もまたあるわけで。

これが理解できない限り、第二第三のパクリ騒動は起きてネット上では検証もされていくだろうし、その動きを「表現狩りである」とネガティブに表現したところで多分、この流れを止めることは現時点では不可能だと思います。